『邦楽年表』における杵屋彌吉の初見は宝暦三年(1753年)江戸中村座顔見世番付で、杵屋彌吉派(彌門)では宝暦期に活躍したこの彌吉を初代としています。

 以後、二代目(天明〜文化期)、三代目(明治初期)、四代目(明治中期)の活躍を経て、五代目となり、五代目彌吉はのちに十代目彌十郎、晩年は二代目宇右衛門を名乗りましたが、この五代目は名優六代目尾上菊五郎の知遇を得て、大正時代、全盛期の市村座で附師(いわば音楽部長)として戦後の尾上菊五郎劇団にいたるまで歌舞伎音楽でおおいに活躍しました。

 五代目彌吉が晩年(昭和15年)に二代目宇右衛門を襲名したことにより、その御息女が六代目を襲名しましたが六代目は女性なるがゆえに芝居には関わらず一門の指導に専念してまいりました。

 続いて昭和六十二年に、一門の彌一郎が七代目を襲名いたしました。
 七代目は幼少より五代目彌吉に弟子入りし、その後初代杵屋彌一郎として戦前から尾上菊五郎一座に所属し長唄三味線方として活躍、戦後も菊五郎劇団の附師として活躍、また舞踊曲の作曲も数多く残しておりますが、平成八年三月八十才で没しました。

 そして平成九年、初代杵屋彌一郎(七代目彌吉)の跡を次いで二代目彌一郎が八代目彌吉を襲名し、今日に至っております。

『杵屋彌吉歴代について』植田隆之介著より抜粋
七代目杵家彌吉

[杵屋彌吉家略系図]