[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

助 六 天保十年・十世杵屋六左衛門作曲。
歌舞伎十八番に附属している関係で、河東節が代表的なものとなっているが、一中節、半太夫節、長唄、常磐津、歌沢、清元、と多彩。

[解 説]

 天保十年(1839)三月、江戸中村座で四世中村歌右衛門と三世岩井粂三郎による八変化舞踊「花翫暦色所八景(はなごよみいろのしょわけ)」が初演された。そのなかの一曲がこの曲で、作詞は歌舞伎狂言作者三世桜田治助、作曲は十代目杵屋六左衛門である。歌舞伎や三味線音楽の世界に「助六もの」と呼ばれる部類がある。18世紀初め宝永年間に京都の侠客万屋(よろずや)助六が島原扇屋の遊女揚巻(「総角」とも)と心中をしたという巷説がある。上方ではこれが歌舞伎や一中節、義太夫節に取り入れられて助六・揚巻の心中が主題となった。一方、これが江戸に伝わると、江戸独自の「助六狂言」が出来上がったのである。曽我狂言と結びついて、花川戸の助六実は曽我五郎が宝刀友切丸詮議にため吉原の廓に入りこみ、髭の意休に代表される特権階級に抵抗するという、江戸っ子の代表、現代風に言えば、まさにカッコいい助六による男伊達と吉原三浦屋の遊女揚巻の張りと意気地が主題となったのである。

 助六が花道から登場する時の伴奏音楽(出端の唄)は歌舞伎十八番(市川団十郎系)の「助六」の場合は河東節、音羽屋系(尾上菊之助系)では清元節、そのほかはこの長唄を使うことになっている。

 本調子から三下りに転調する。河東節「助六」の影響の強い曲。「咲き匂う」から「恋にこがれて助六が」までの置唄は初演時には無く、再演の安政四年(1857)三月に追加されたといわれているが、作曲者の六左衛門がのちに置唄を失念して「傘さして」から教えたからだという説もある。

 花川戸(台東区花川戸一丁目、二丁目のうち。隅田川の西側)の助六が主人公、場所は「浮世の仲の町」、「鐘は上野か浅草に」は有名な松尾芭蕉の句からの引用、「つつみ八町衣紋坂」「ただは通さぬ大門を」「土手節やめよ編笠を」「しんぞ命を揚巻の」とすべてが吉原にかかわっている。

 「傘さして」「この鉢巻の紫は」「急くな急きゃるな」「恋の夜桜」「しんぞ命を揚巻の」が聞かせどころである。

解説者『長唄研究会:植田隆之助』