[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

操三番叟 嘉永六年・江戸河原崎座、四世杵屋彌十郎で初演。
二上がりから本調子そして三下がりと転調し、三番叟もののなかでも最も華やかで軽快な曲。

[解 説]

 本命題「柳糸引御摂(やなぎのいとひくごひいき)」 嘉永六年(1853)二月、江戸河原崎座「しらぬひ譚(ものがたり)」の大切で江戸下りの二世嵐璃かくが操人形の三番叟に扮してのお目見所作事の伴奏として初演。 この原曲は前年八月、大阪の大西の芝居(筑後芝居)初演の「初櫓豊歳三番叟(はつやぐらたねまきさんばそう)」である。 この作詞は歌舞伎狂言作者の嶺琴八十助、作曲は坂東定次郎であった。

 嵐璃かくが江戸下りの折には定次郎も同行したようだが、当時、河原崎座の三味線方は六世杵屋六三郎、四世杵屋彌十郎が中心であり、定次郎は出演できなかったのであろう。 詞章は歌舞伎狂言作者の篠田瑳助によって、また、曲は四世杵屋彌十郎によって手が加えられ、立唄・二世芳村孝次郎、立三味線・四世杵屋彌十郎で演奏されたのがこの曲の初演である。 その後、五世杵屋勘五郎もこれに手を加えて現在の形となった。この四世杵屋彌十郎は三世杵屋彌吉(のちの五世彌十郎)の師匠である。そのような関係もあって彌門(杵屋彌吉派)ではこの曲を大切にしている。

 二上りから本調子そして三下りと転調する。三番叟物の中では最も華やかで軽快な曲。 三番叟を糸あやつりにしたり、その糸が切れたり絡んだりする趣向が面白い。 二上り「千代の初めの初芝居相河原崎(「相変わらじと」とも唄う)賑はしう」は初演の浅草猿若町(現在の台東区浅草6丁目のうち)にあった河原崎座の大入りを願う詞章。 「千代の初めの初芝居」、「千早ふる神のひこさの」、「難波江の」、「なじょの翁」、が聞かせどころである。

『長唄研究会:植田隆之助』