[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

老 松 文政三年、作曲は四世杵屋六三郎、作詞も同人と考えられている。
母ますの八十才の祝いのために作曲され、ますをまつに通わせ「老松」という曲名にしたと伝えられている。廓情緒を唄い込んだご祝儀ものの名曲。

[解 説]

 作曲は四代目杵屋六三郎(安永九年〜安政二年)で、作詞者も同人であろうと考えられている。歌舞伎の為ではなく、母ますの祝のために文政三年に作曲されたこの曲は、純演奏長唄の嚆矢となったとされる。

 四代目六三郎は、長唄を代表する名曲ともいえる「勧進帳」や「吾妻八景」「松の緑」のほか、多数の曲を残している。晩年に六翁と改名、池之端に住んでいたので、池之端の六翁、あるいはたんに池之端として親しまれている人物である。その住まいが、滑稽本『八笑人』第五編巻之上に、「コウ見ねへ杵屋の宅は綺麗で見晴らしがいゝナア」と書かれているのがおもしろい。吉原の引手茶屋の二階で「俄獅子」を作曲したとか、七十一歳で亡くなる直前、高熱を発して危篤に陥ったと聞いて遊女若紫がかけつけた、などという逸話の持ち主である彼は、歌舞伎が本業なのだから当然とはいえ、浅草や吉原とは縁が深く、第二回彌芽の会でも、その「俄獅子」と「吾妻八景」の二曲が取り上げられている。

 「老松」は、同名の能にヒントを得て作詞、作曲したものである。能のような一貫した筋はなく、能にはない廓気分を、曲の中ほどにふんだんに盛り込んでいるが、変形させながらも、能の技法を首尾に配するなどして、全体に祝言の雰囲気を漂わせている。

 なお、曲尾近くの「松風の合方」は、初演のときにはなく、四代目三郎助時代の十代目六左衛門が、すこしのちに作って挿入したといわれる。十代目六左衛門は、初演の時に作曲者六三郎のワキを弾いているのである。

解説者『日本大学芸術学部教授:蒲生郷昭』