[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

俄鹿島踊 文化十年、初代杵屋勝五郎作曲。
「俄」とは祭礼の踊り屋台で即興的に演じる踊りや寸劇をいい、鹿島神宮(鹿島明神)の神託「鹿島の事触れ」の踊りに江戸の物売り風俗を絡ませた小品。

[解 説]

 三代目板東三津五郎が踊った十二変化舞踊「四季詠寄三文字(しきのながめよせてみつだい)」の八月の部「亀戸祭り」の地の音楽。七月の田舎ごぜ(地は常磐津)から変わったものである。作曲は初代杵屋勝五郎、作詞は、このときの狂言作者、二代目瀬川如皐、初代福森久助のいずれかであろう。文化十年三月、中村座で初演された。

 勝五郎(?〜天保十年)は、「対の編笠」「小鍛治」などの作曲者で、いわゆる杵勝派の元祖となった人である。晩年には勝左衛門と改名しているが、ふつう初代勝五郎と呼んでいる。

 かって下総の鹿島神宮の下級神人団は、風折り烏帽子に狩衣という神官の出立ちで諸国を巡回し、鹿島明神の神託と称して一年の豊凶や天災の有無などの予示を触れて歩いた。「鹿島の事触れ」である。江戸には、これに便乗して同じような姿で鹿島明神の神託なるものを触れ歩く門付け芸人が現れた。吉原を舞台にして、この鹿島の事触れの踊りに白酒売りや粟餅売りなど、当時の物売りの風俗をからませてまとめたのがこの曲である。題名の「俄」というのは、祭礼の踊り屋台で即興的に演じる踊りや寸劇をいい、江戸では吉原俄が有名である。

 「拍子とりどりきたりける」までの前半が鹿島の事触れで、「これは廓の色くらべ」から曲尾までは、白酒売りの言い立ての木遣りと粟餅売りの粟餅搗きを組み合わせ、最後に「里の遊びぞ賑はしき」と吉原の遊びでめでたく結ぶ。

 軽妙でおもしろくできているこの小品も、全曲を三下りで通す。

解説者『日本大学芸術学部教授:蒲生郷昭』