[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

俄獅子 四世杵屋六三郎作曲。作詞者は未詳。
天保五年十月の吉原俄の折に封切られたとされている。歌舞伎劇とは関係のない長唄で、頽廃期の廓情緒や俄の雰囲気をよく出した名曲。

[解 説]

 作詞者は未詳。四世杵屋六三郎によって作曲され、天保五年(1834)十月の吉原俄(吉原仁和賀)の折に封来られたとされている。歌舞伎劇とは関係のない長唄である。

 四世杵屋六三郎は、「晒女」「勧進帳」「老松」「吾妻八景」など多くの名曲の作曲者として知られた人で、文化五年(1808)六三郎の名跡を継ぎ、天保十一年(1840)には六三郎の名を吾が子に譲り、己は六翁を名乗った。いわゆる池之端の六翁である。この人は吉原遊郭へ通いつめたとされ、この「俄獅子」もそうした雰囲気の中で作曲されたと言われる。黒木勘蔵などは、六三郎が馴染みの花魁の部屋で廓情調に浸りつつ作曲したという風説を紹介しているが、嘘か本当かは判らない。

 作詞は享保十九年(1734)春、江戸中村座の所作事に出された「風流相生獅子」の歌詞をそのままもじったもので、いわゆるパロディーである。ただし、「相生獅子」の中間の述懐部分は、そっくり廓風俗の描写に替え、木遣り唄やクドキで風情を添えている。二上りで始まった曲が、この後三下りとなり、再び「相生獅子」のパロディーへと戻ってゆく。作詞者についても、稀音屋義丸は「作曲者自身ともいう」という一説を取り上げているが、如何にも通人の作らしく出来上がっていて、廓風俗を写していて余念ないが、中には多少悪ふざけめいた叙述もあり、特に文人の作と決め付ける程のものでもないから、作曲者の余技とみても自然である。渥美清太郎が言うように、「頽廃期の廓情調や、俄の雰囲気を実によく出した名曲である」というべきであろう。

解説者『高岡市万葉歴史館館長:大久間喜一郎』