[浅草ゆかりの長唄 INDEX]

廓丹前 安政四年、二世杵屋勝三郎作曲。
花柳の踊りの会のために作られた曲で、吉原廓の起源を述べ、四季の当時の廓行事を描いた江戸遊郭史の様子を伝える華やかで明るい総踊り風の曲。

[解 説]

 安政四年(1857)五月、花柳の踊りの会のために作られた曲で、作曲者は二世杵屋勝三郎。至極華やかで明るい曲である。

 題名の丹前というのは、六法男伊達と言われた旗本奴・町奴などが、世を憚らず町中を押し歩いていた万治・寛文(1660年前後)の頃、神田鎌倉河岸の松平丹後守の上屋敷の前に、美しく飾りたてた町風呂が夥しくあって、風呂女の名で遊女を置いたので、それを丹前風呂と言い、そこへ通う派手な風俗の男達を丹前と言った、ということが『昔々物語』にあり、更に古く西鶴の『好色一代男』にも見える。旗本奴には水野十郎左衛門の白柄組などがあった。

 六方(六法)というのは御法(五法)を越えた存在だからとか、天地東西南北に蟠って闊歩するからだとか言われる。そして歌舞伎などに取り入れられた六方振りとは、あたりを憚らぬ歩き方を言うのである。

 本曲は六方者たちが活躍した時代の風俗から、「そもそも廓の始まりは・・・」で、庄司甚右衛門が元和三年(1617)幕府から許されて開いた新吉原の風俗描写となり、その後日本堤を通う伊達者たちが唄ったという土手節も出てくる。「かかる山谷の・・・」から「お笑いやるな名の立つに・・・」までが土手節の歌詞であるが、古い曲調を伝えているとは思われない。続いて新吉原の年中行事、八朔の白無垢、吉原俄等の俤を伝え、霜月の秋葉祭りから大晦日の太神楽の描写で終わる。全体として、江戸遊郭史の面目を伝える華やかな総踊り風の曲である。

解説者『高岡市万葉歴史館館長:大久間喜一郎』